なぜ、初代ブラックタイガーだったのか? ~上井文彦~
今回の大会を始めるにあたり、問題点がいくつかありました。
一番は何と言っても、私に興行を打つだけの資金力がなかった事。
私はプロデューサーで、団体を設立するものでもなく、全ての参加選手が基本フリーランスの選手である事が条件となること!
漠然と興行をやるのではなく、自分らしさを出した上に、しっかりした信条、理念の下に大会を単発ではなく継続的なモノになるような!!
そんなプロレス大会を!と、強く思うようになり、今のプロレスとは逆の方向の、時代も逆戻りしたような〜昭和のゴールデンタイムに放映されていた頃の熱い熱い感情移入出来るプロレスを再現出来るリングにしたい!!
そんな感性・感情の中から、ふっと思い浮かんだ『 STRONG STYLE HISTORY 』という大会名称!〜そうなんですよ!それは降って湧いたように物々とアイディアが、私の心の中に湧き上がって来ました。
マサさんと言えば、東京オリンピックのヘビー級のフリースタイルで日本代表だったように、先ずはアマチュアレスリング!
次は自分の経験した第一次UWFの、ロープワークを一切使わないUWFスタイルのレスリング。
そして、マサさんと猪木さんが巌流島で死闘を展開した、壮絶なるストロングスタイル。
私は新日本プロレスに入社仕立てから、生粋の営業マンとして、大塚直樹営業部長の率いる営業集団の諸先輩に、営業のイロハを叩き込まれた果報者です。
しかも、数少なくなった第一次UWFの背広組の一員でもありました。
そう考えた時に、第一次UWFの新弟子くんだった今回も馳せ参じてくれた『 森 泰樹 』さんや『 星名 治 』さんの事が思い出され、当時のUWFの道場に新日本プロレスの所属選手だったにもかかわらず、UWFの道場にちゃんこの材料の、イワシのつみれを作るために、北沢幹之さんと一緒になって、素手でイワシを3枚に捌いてくれた『 保永昇男 』さんが思い出され、、、
こんな感じで小さな小さな『 希望の種 』が拡がり始めたのです。
新日本→UWF→新日本〜こんな覆水が盆に戻る事をしてしまった私が、最初に白羽の矢を立てたのが、新日本→UWF→全日本 と渡り歩いた『 ピート・ロバーツ 』選手だったのです。
なんとかコネクション捜しをしないといけないと思い、マスコミ各位に相談する事になるのですが、水道橋でマスクショップ『 デポマート 』を経営されている、元週刊ゴングのカメラマン『 大川 昇 』氏から、ピート・ロバーツではなく、初代ブラックタイガーのマーク・ロコ選手はどうですか?との提案を戴いたのです。
たまたま9月末に発売の『 G sprits 』にも特集記事が掲載される旨のお話をして戴き、Gスピの佐々木氏から、特集記事の担当者の『 新井宏 』氏のご紹介を戴き、その新井宏氏が交渉窓口となり、記念すべき約30年ぶりの来日を果たす事となったのです。
ご夫妻揃っての来日に、マスクマンファンならずとも、あのタイガーマスク全盛時代の、ダイナマイト・キッドに並ぶ好敵手として、一世風靡した初代ブラックタイガーを真近で観れる事に、少なからず興奮を覚えるのです。
初代ブラックタイガーといえば、そこに初代タイガーマスクの佐山サトルさんが居ないのは、プロデューサーとしては失格になりますので、そこのところを、私の最上位の上司である新間寿元新日本プロレス営業本部長にお頼みし、初代タイガーマスクの参加も決まったのです。
ここに来て、私は一切の連絡はしていないのに、虎ハンターの小林邦昭さんもマサさんの応援に来阪頂けると聞いております。
叶うならばリング上に、初代ブラックタイガー、初代タイガーマスク、小林邦昭氏、新間寿氏の揃い踏みが実現する事を、心から願っているのです。
皆さん!初代ブラックタイガーさんの意向ひとつですが、写真に掲載した通り、大変に苦み走った好い男ですから、マスクを取って素顔を公開してもらいたいものですね!
大会まであと2週間〜ドキドキが止まらなくなりました。
上井 文彦
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